実家を訴えたA家のお父さんの日記に書かれていたこと
―初の長編映画はまさかの社会派作品でしたね。普段の監督のイメージとはだいぶギャップがありました。
麻王) はい。僕の実家が訴えられた実際の裁判である「横浜・副流煙裁判」を基にしたフィクションドラマです。「化学物質過敏症」が引き起こす問題をテーマにした社会派の作品になってます。なに笑ってるんですか?今日はまじめに語らせていただきますよ( ´∀` ) 。
僕はこのテーマをなるべく客観的に、「実家の災難」という認識バイアスから離れた視点で描きたいと思っていたんですが、最初はなかなか取っ掛かりがつかめませんでした。ある時、裁判資料として提出された相手方(A家)のお父さんの4年間の日記を読んだんですね。そこには彼らの壮絶な苦しみと、孤独や悲しみ、怒り、家族の愛といった、主観のストーリーが展開されていたんです。ある意味豊かなドラマ性をもって。僕はこのA家主観のドラマを大事にしながら、一方で僕の実家(B家)の主観も視野に入れて、なるべく客観的に、たんねんにデッサンしてみたいと思いました。片方に肩入れすることなく、事の顛末を見つめ、A家とB家それぞれの主観を通して、「化学物質過敏症」が引き起こした問題を総体的に捉えてみたいと思ったんです。
シナリオ作りには、約半年かかりました。ディティールを描きこみ、俯瞰して眺め、また細部と格闘する日々は、僕にとってはまさに美大(麻王監督は東京藝術大学美術学部デザイン科卒)からずっと続けているデッサンと同じ感覚でした。デッサンって客観を求めていくものなんですが、最終的にはそれだけでは終われないということも分かりました。いくら客観を求めていっても、やはり自分自身の主観からは逃れられない。A家とB家そして僕自身の主観がどうなのかも問い続けながらデッサンを重ね、撮影、編集含めて2年かけて完成しました。
もちろん家族には見てもらいましたよ。父ちゃんはなかなか点数が辛くって、妹は興味なし… 僕の家族ってそんな感じなんです。ただ母ちゃん(筆者注:映画ではMEGUMIさんが演じています)が「癒された」と言ってくれたのにはほっとしましたね。公開に当たっては、なにしろ資金不足でクラウドファンディングを立ち上げて、多くの方にご支援いただきました。本当にありがたいです。一人でも多くの方に「化学物質過敏症」に関しての認知が広がり、社会課題として広く議論されることを願っています。
メタ視点のクリエイティブ習慣‘デッサン思考’はいかにして誕生したか
―映画を「家族の受難劇」ではなく、化学物質過敏症をめぐる「社会への問題提起」として描いた背景には監督の‘デッサン思考’があるようですね。その成り立ちを教えて下さい。
麻王) ‘デッサン思考’っていいですね。その呼び方いただきます( ´∀` ) 。この思考のスタートは、美術予備校でのデッサン訓練ですね。当時僕は18歳、芸大志望の浪人生でした。物を見て、見たままと同じになるように描き(まあ、やってみればわかりますが描けません)、何度も何度も画と物を見比べ続け、修正し続ける。講評会で、他者が描いた視点と自分の視点を見比べて、さらに修正を重ねる。ひたすら見比べて、気づきを得ていくことが大事でした。そして、そのやりとりの中で、自分のものの見方の長所や、足りていない短所を見つけ、長所を伸ばし、短所を補っていく。そんな経験の繰り返しが、今の監督、映像ディレクター業にまでつながっている気がします。
思えば僕の場合、熱意やパッションというものがもともと薄かった子だったんです。でも、ある時予備校の講師の方がデモンストレーションで石膏像のデッサンをしてくれたんですが、まあ〜〜〜〜感動したんですよね。光の当たり方、影の落ち方に。質感に。大きさと形の流れに。その、ものが存在していることに。ここにただポンと石膏像があるだけなのに、講師の方のデッサンによって、ここまで感動できるのかと大変驚きまして。ここまで熱意と熱量が引き出せるのかと。
そうして、なんとなくその講師の方の気持ちになって自分でやってみると、感動できたんですよね。で、ああ、自分の中にこんな感覚があったんだ、と。そこで初めて、自分の中に<理解>はそれなりにあったけど、<感受>が足りなかったんだなと気付かされました。もっと言えば、その理解と感受が混ざり合った視点の先に、ただ存在がそこにあることへの「熱量」と「感動」がある、ということに気づきまして。そのデッサンに感化されて以来、僕の「デッサン思考」が始まったと思います。
‘デッサン思考’を極めれば…ゴッホにはなれないがピカソにはなれる?
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